連載コラム

森永伊紀 氏

その人らしさのテーマとなっている生活行為を大切に援助する

「母は85歳を過ぎても体はピンシャンしていましたが、『親しい友達は全部死んじゃったし、もう生きていたってしょうがないから、早く死にたい』と言うんです。
じゃあ明日死ぬかって聞くと、『いや、今日はちょっとまだね』と言う。『ひじきと油揚げを煮ようと思っているから、あれを旨く煮て食べて死にたい』(笑)。
『俺は将来この会社の社長になる』というのとは違うけれど、ひじきを旨く煮るというのも、やはり生きがいなんです。
だから僕は「じゃあひじき煮なよ」と言って帰りました(笑)。(「えれくせんと」三浦朱門氏の文章の要約)

三浦さんのお母さんは、自分ひとりでひじきが煮れなくなったら「終わり」でしょうか。
ヘルパーの援助を受けながら、ひじきを煮ることができれば、「終わり」にはなりません。
高齢者の生活の中には、自分が自分らしく生きていくテーマとなる生活行為があります。
その生活行為を、今日とどこおりなく行うことは、過去の自分と明日の自分を繋げる働きがあり、今日のような明日が来ること確信させます。高齢者が「生きる」とは、このような日常性の継続にあるのではないでしょうか

ホームヘルパーには、高齢者の多様で雑多な日常生活の行為の中から、その人の、生きていくテーマとなっている生活行為を見つけ出し、すでに失われている場合は、利用者と生活の中に手がかりを探して再生させ、又は、新たに創り出していく力量が求められます。
私たちヘルパーが、利用者の「変化」という言葉を使うとき、「変化」を、なるようにまかせた結果としてではなく、「利用者の過去から明日に繋がる今日の生活行為を、利用者とヘルパーが協力して行う中で生まれてきたもの」として使いたいものです。